はじめに
Bombye Japan Tourのログを少しだけ残していこうと思います。
北参道にある小さな服屋&レコード屋がこんな機会に立ち会うことは人生で初であり、後にも先にも経験できない貴重な時間だった気がしています。
今回のツアーが最初なのか、最後なのか。私たちが歩いた証として残したいと思いますので、少しばかりお付き合いください。
Bombyeが日本にやってきた
2025年5月22日(木)彼らが初めてに日本ツアーにやってきた。
ニック、アンドリュー、サムの三人のうち、ニック以外は初めての日本ということもあり、空港に着いてから空港を出るまでに4時間を要した。こんな想定外からツアーが始まった。
POOL SIDEとしても音楽のツアー制作やライブ制作は初の試みともあり、スケジュールはある程度組んで心づもりもしていたものの、突貫工事で準備を進め、現場ごとに想定と様相を変えていった。
菅原愛子さんとのコラボレーション
日本ツアーだからこそ、日本ツアーでしかできない企画をライブの演出として盛り込みたかった。企画として思いついたのが、日本人シンガーとのデュエットだった。そこでパッと思いついたのが菅原愛子さん。ソロとしてのパフォーマンスはもちろんだが、パワフルかつソロ映えするニックの歌声の良さを引き出せる相手が必要だった。
来日からのスケジュールがタイトだったこともあり、スタジオでの練習のタイミングは限られていた。来日直後のタイミングしかなく、慌ててスタジオをこしらえた。
到着そのままスタジオへ
Bombyeとの合流はろくな挨拶も出来ぬまま空港からスタジオ練習へ向かう。スケジュールはいつだってアンタッチャブルな存在だ。スタジオに入るやいなや機材のセッティングに取り掛かる。スタジオに先入りしていた愛子さんの準備は万全だ。
ハワイではいつも野良に近い環境でライブをしている彼らの機材セッティングのスピードは流石なもので、10分もかからないうちに完了した。
軽めの助走の時点で彼らのサウンドと歌声に、その場にいた全員が静まり返った。しかし、彼らにすればなんて事のない日常のワンシーンであり、呆気に取られているこちらを気にするそぶりもない。
「OK. I'm ready」
スタジオで初のセッションが始まる
スタジオに入りすぐにデュエットの練習に取りかかる。
ツアーに際して事前にNick Kurosawaシングルタイトルでもある"Omma"をバンド披露できないかとリクエストを出していた。シングル発売以降、Nick Kurosawaを探せばOmmaに辿り着くということが何度もあった。その曲をBombyeのサウンドとして構築したらどうなるのだろうという、我々の"聴きたい願望"の一つでもあった。
プロ同士のセッションが始まる。
愛子さんのCrazy Ken Bandとしての経験値は流石のもだ。彼らのサウンドに一度目のセッションから波長があっている。ニックの「もっともっと出して」というソウルシンガーらしい要求に応えてクオリティは練習を重ねるたびに高くなっていく。
スタジオに入って約1時間。お互いの感触を軽く確かめ合った。
「あとは会場でやってみて、ライブ中の雰囲気を見てみてだね」と愛子さんから頼もしい言葉が。同行した私たちはその言葉に名古屋以降の公演での披露が待ちきれなくなっていた。
「I'm hungry. Wanna go to Famima.」
「よし!終わろう!帰ろう!」
23時前のスタジオノア。
彼らは疲労の気配も感じさせず気丈に振舞ってくれた。きっとツアーに呼んだくれたことに対する最大限のリスペクトなんだと思う。
彼らを宿へ送り届け1日目が終了した。
この時感じたワクワク感と期待感は、その後のライブを重ねるごとに更新されていった。
Photo : Hideki Anzawa